「奨学金は借りるのが普通」
「みんな奨学金を借りているから、自分も借りなければいけない」
あなたはこのようなことを思ったことがないだろうか。
現在の日本には名言されてはいないものの、それとなく「奨学金は借りて当たり前」のような風潮が存在する。
あなたが高校生や大学生の頃、周囲は何かと奨学金を借りようとしていたはずだ。
奨学金を受け取れるか不安な友達を見て、「自分も奨学金を借りなくてもいいのだろうか…」と思った経験があるだろう。
なぜ奨学金が強調されるのか?
なぜみんな奨学金を借りようとするのか?
なぜ奨学金を借りない話は出ないのか?
これらの問いは、奨学金の本質を容易に理解させてくれる。
この記事では上記の問いから、あまり語られない奨学金の本質的な部分を解説する。
奨学金は学生のためのものではない!?
まず、「なぜ奨学金が強調されるのか」について。
アルバイトや仕送りを使えば、別に奨学金を借りる必要もない。学費についても、国立大の学費はそこまで高くない。
それでも奨学金の重要性は強調され、借りる人は後を絶たないのが現実だ。
なぜここまで奨学金が推奨されるのかといえば、若者からお金を搾取できるから。
つまるところ奨学金は学生のためではなく、奨学金を貸す側のための制度だ。
考えてみて欲しい。
奨学金は借金だ。
借りなくてもいいようなやり方などいくらでもあるのに、どうして借りなければならないのだろうか?
お金が足りないなら
- バイトして稼ぐ
- 親にお金を出してもらう
など、やりようはいくらでもある。
それでも奨学金は強調され、搾取される若者はゼロにはならない。
強調されるのは貸す側である日本学生支援機構が得をするからだ。
マネーリテラシーのない人が借りる
奨学金が借金や学生ローンだとわかっている人は、奨学金を借りない。
奨学金を借りる必要のない人は、そもそも奨学金が選択肢に入ってこない。
結局、奨学金を借りるのは
- 世間体が欲しい人
- マネーリテラシーのない人
ということになる。
これが「なぜみんな奨学金を借りようとするのか?」に対する答えだ。
前者は奨学金をする周囲から仲間はずれにされたくない人。
みんなが奨学金を借り、あなただけ借りない場合、「なんとなく」あなたは浮いてしまうだろう。その「浮いているのが恥ずかしい」という心理を狙って、奨学金は勧められる。
後者は奨学金を借金だと気づけない人。
奨学金の正体が借金だと気付かず、いかにも正しそうなイメージから借金してしまう。「奨学金」という名前に釣られて借金してしまう。
そのように「借金を借金と見抜けない」人も、奨学金のターゲットだ。
ないなら稼げばいい
飲み会のお金がない?
服を買うお金がない?
旅行に行くお金がない?
全然問題ない。
バイトで稼げばいいだけだ。
もし部活でバイトする時間がないのなら、親に頼んでお金を出してもらえばいい。
飲み会や嗜好品で消える額のお金など、バイトですぐに稼げてしまう。
そもそも飲み会や嗜好品というのは「消費」であって、必ず払わなければならないわけではない。
前述した奨学金のターゲットに世間体のことを書いたが、飲み会などについてもこれは当てはまる。
本来、お金がないのなら飲み会になど行かなければいい話。仮に行かなければならない飲み会があるとしても、そのような飲み会は年に数回なはずだ。
それでもお金が足りないというのはよっぽどの理由があるぐらいで、バイトしても飲み会がないというのは本人のお金の使い方に問題がある。
「飲み会に行かないと仲間はずれにされそう」と思ってしまい、奨学金のお金を使ってしまうのでは、搾取する側の思うツボだ。
借金というのは消費に充てるべきではなく、もし嗜好品に使おうものなら麻薬のように辞められない。
なんとなく奨学金を借りて、なんとなく飲み会や嗜好品、旅行に使ってしまう。
その使い方では骨をしゃぶられるだけだ。
奨学金という借金を贅沢に使うのは間違っており、決して奨学金を飲み会やブランド品に使うべきではないのである。
奨学金は貧乏人から搾り取る貧困ビジネス
奨学金を借りる本人は借金の自覚がないまま借金をする。そうして大学卒業と同時に数百万の借金を背負うことになる。
借金の自覚がある人は借りず、自覚がない人だけが借りて重い借金を背負う。それが奨学金だ。
「なぜ奨学金を借りない話は出ないのか?」という問いに対し、日本学生支援機構にとって奨学金を借りない話は不利になるからというのはある。
しかしそれ以外にも、奨学金を借りる人というのはそもそも「借金をせずに済む方法を考えられない」のだ。これも奨学金なしの方法論が出てこない理由である。
奨学金を借りずに済む方法を考えられない人は、マネーリテラシーがない。マネーリテラシーがないと奨学金を借金と気づけす、大学を出た直後に重い借金を背負わされる。
そのようなお金に疎い人からお金を搾り取る。これが奨学金の本質だ。
まとめ
本来、奨学金は不要である。アルバイトをするなり親がお金を計算して貯めておくなど、やりようはさまざまだ。
しかし借金することが普通となっており、奨学金は借りて当たり前というのは、日本における金銭教育のなさを露骨に示している。
結局、奨学金で苦しむのはマネーリテラシーのない情弱というのが現実なのだ。
奨学金以外にも、表現だけがキレイなものはほかにも存在する。住宅ローンが咎められない、車を買うのが当たり前という風潮も奨学金と本質は似たようなものである。
「表現がキレイなだけ」という本質に気づけないと一生搾取されつづけることになってしまい、せっかくの20代が台無しになってしまう。
今返済していない額があるとすれば飲み会を断ってでも返済すべきで、返すのが長引くほど利子が増えて不利になる。
急な出費で返せなくなっても取り立ては緩まないため、できるだけ早く返す。大学在学中にこれを読んでいるのなら、これ以上借金をせず必至にバイトして借りた分を稼ぐ。
どこまで行っても奨学金は借金であり、ないに越したことはないのだ。